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Channel: jonathanheart’s blog
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台湾近代化のポラリス 「はじめに」

16世紀の大航海時代、大勢の冒険者たちが未だ見ぬ世界に向けて旅立って行った。地図もない時代、航海を続ける上で冒険者たちの心強い味方となったのが、ポラリスだった。ポラリスという言葉は普段あまり聞きなれない言葉。こぐま座で最も明るい恒星で北極星の事である。...

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台湾近代化のポラリス 「我が人生を変えた星との出会い」

時は明治42年(1909年)の夏。ここは台北市書院町1丁目2番戸。間口六間の2階建ての建物。ここが私の事務所である賀田組本店になる。この2階に週1回、私の話を聞きたいと若手の従業員達が集まる。決して強制的に集めたのではなく、彼らの希望で話をするようになった。今日も十数名の若手が集合していた。いつもの様に窓際の中央に置かれた椅子に私が座るや否や、菊地という技師見習いの子が手を挙げた。「早速だね菊地君」...

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台湾近代化のポラリス 台湾統治当初の台湾

私が台湾に来たのは、日本が台湾を統治する事になった1985年の7月だった。統治が始まってまだ3か月ほどしか経っていない時だったが、そりゃ酷いものだった。基隆の港について驚いた。港の周りは完全に荒れ果て、人がいない。台北に入っても同じだった。当初は、台湾総督府の近くの空き家に陣取り、毎日の様に総督府へ通ったものだった。とにかく、人がいないからまともな店もない。食事は、総督府の残飯を譲ってもらいながらの...

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台湾近代化のポラリス 後藤の提案

賀田金三郎が台北の賀田組事務所の2階で若手の従業員達に話を聞かせている頃、台湾総督府の総督室では、明治31年2月26日に第四代台湾総督に任命された児玉源太郎総督とその児玉の強い要望で同年3月2日に台湾総督府民生局長に任命された後藤新平局長が真剣な表現で向き合っていた。児玉は少し押し殺したような声で「樺山元総督は台湾平定を宣言したが、今の台湾の状況を見る限り平定とは程遠い状態だと思わないかね」と言って...

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台湾近代化のポラリス 徹底的に調査をする後藤

「社長、後藤長官はいつ頃から台湾統治政策をお考えだったのでしょうか」と賀田組従業員の菊地が賀田金三郎に尋ねた。これに対し賀田は「君たちは板垣退助自由党党首を知っているかね」と言いながら集まった賀田組の若手従業員達を見渡した。彼らは一様に大きくうなずいた。賀田は話を続けた。「あれはもう27年ほど前になる。4月に板垣党首が岐阜で遊説中の時だった。暴漢・相原尚褧に襲われ大けがを負われた。その際、板垣党首は...

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台湾近代化のポラリス 西郷菊次郎抜擢

後藤新平の土匪に対する秘策を聞いた児玉源太郎は、しばらく考え込んだ後、切り出した。「後藤さん、あなたの策を採用するとしてだ、具体的にはどの様な内容で進めていくおつもりかな?。そして何よりも、一体この大役を誰に託すおつもりかをお聞かせ願いたい。」児玉の言う事はもっともである。特に、日本側に対し徹底抗戦を続ける土匪の大物、陳秋菊を相手に、日本側が提示する条件で帰順させるための交渉。そう簡単に行くものでは...

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台湾近代化のポラリス 西郷菊次郎の決断

台湾総督府民生局局長室の扉を開けて入ってきたのは宜蘭廰長の西郷菊次郎であった。後藤新平は満面の笑みを浮かべながら西郷を迎え入れた。後藤は「今日はわざわざご足労願って申し訳なかった。本来であるならば私の方から出向くべきところを」と言うと「滅相もございません。この様に後藤局長とお会い出来る事、この西郷、光栄に思っております」とやや緊張した面持ちで答えた。しばらくは近況報告を聞いたり、世間話をしていたが、...

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台湾近代化のポラリス 生物学の原則

賀田金三郎を囲んで賀田組の若手従業員達が金三郎の話に聞き入っていた。「児玉総督は台湾総督という職務以外にも陸相、内相、文相、参謀本部次長、満州軍総参謀長などの職務も兼任されており、中央での兼職や外征により、台湾不在の期間が長く、その結果、台湾統治は民政長官の後藤新平長官が負うところが非常に大きかった。ところで君たちは、「統治とは」という問いにどの様に答える」賀田組の若手従業員達は一同に考えた。その中...

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台湾近代化のポラリス 土匪(どひ)誕生の裏側

賀田金三郎は賀田組の若手従業員達を前にさらに話を続けた。「ここで土匪についてもう少し話をしてもいいかな」すると青木が「社長、土匪とはどうして生まれたのですか」と尋ねた。「それはいい質問だ。」と金三郎は青木の方をみながら微笑んだ。「実は乃木総督時代のことだった。「三段警備法」というものが採用された。これは、台湾全土を「危険」「不穏」「安全」の3種類にわけ、危険地帯、主に山間部を軍隊が、不穏地帯、主に都...

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台湾近代化のポラリス 西郷菊次郎と陳秋菊との初出会い

後藤新平から土匪の頭目、白馬将軍と呼ばれ、土匪達の間でも英雄視されている陳秋菊との交渉方法について思案した西郷菊次郎だったが、彼が導き出した答えは、「武器を持たず、お伴は通訳のみ」というものだった。片足が義足の西郷。丸腰の身で、万が一、土匪達に襲われたらその結果は誰にでも容易に想像できるものだった。それ故に、周りの人達は猛反対した。当然、後藤新平も西郷がお伴もなく、丸腰で交渉に当たると聞いて、「西郷...

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台湾近代化のポラリス 陳秋菊が出した条件

当時、土匪には宜蘭地方の林火旺、北部の陳秋菊、南部の林少猫という3つの大きな勢力があった。...

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台湾近代化のポラリス 賀田への相談

寝る時間を惜しんで仕事に打ち込むというのが賀田金三郎であった。この日もいつもと同じ様に事務所に一人で残り、夜10時を過ぎてもなお、仕事をしていた賀田であった。そこに、総督府の横沢秘書官が息を切らせて駆け込んできた。その様子に驚いた賀田は「どうされましたか」と席を立って駆け寄った。横沢は「ご、ご、後藤局長が直ぐに総督府に来て欲しいとおっしゃっています」と吐き出すように言った。賀田は横沢の慌てようから何...

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台湾近代化のポラリス 土匪問題解決へ

「社長が用立てたお金は、最終的には総督府から戻って来たのですか?」と賀田組従業員の菊地は賀田金三郎に尋ねた。これに対し賀田は「菊地君、お金というモノは常に循環しているモノなんだよ。だから、私のお金が総督府へと行き、色々なところを循環して、気が付けばまた、私のところに戻ってきている。だから、追いかけてはいけない。追いかけるとお金はどんどん逃げていく。」と菊地の質問の答えにはなっていない答えを返した。菊...

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 明治31年(1898年)9月29日、福建省南部の厦門(アモイ)にある日本領事館の上野専一...

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台湾近代化のポラリス 保甲条例

「後藤長官のご活躍で土匪問題は、解決へと向かったが、長官は、この重大な問題と直面している中でも、台湾近代化へ向けての足場固めを着実に行っておられた。その一つが、明治31年(1898年)に定められた「保甲条例」だ。」と賀田金三郎は集まった賀田組若手従業員達の前で語った。「保甲条例ってそもそもどんな条例だったのですか?」と従業員の青木が賀田に尋ねた。「この条例を定めたことによって、土匪問題解決だけではな...

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台湾近代化のポラリス 混乱を招く二大紙

日本が台湾を統治してからは、台湾島内では抗日武闘闘争が続き、台湾総督は武力で鎮圧したが、台湾統治を成功させるには武力による鎮圧のみでは不十分で、人心掌握が重要であったが、初代台湾総督の樺山資紀総督が台湾総督に就任した頃は、台湾総督府の意思の伝達手段がなかった。広報という形で伝達するのが一般的ではあるが、当時の台湾総督府の財政状況から考えると、台湾全島隅々に至るまで広報を配布するというのは厳しい状況で...

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台湾近代化のポラリス 二紙合併計画

「後藤さん、今の台湾における問題点として、土匪問題は早急に解決しなければならない問題だが、そのほかに急ぎやらなければならない事はどの様なことがあるかね」と児玉源太郎台湾総督は後藤新平民生局長に尋ねた。これに対し後藤は「総督、問題は山積しております。台湾を近代化するためには、全てを新しく作り直す必要がございます。その中でもとりわけ急ぎ手を付けなければならない問題としては、言論統一です。」と答えると児玉...

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台湾近代化のポラリス 台湾日日新報創設

「賀田さん、久しぶりにお会いしたと思えば、いきなり台湾新報と台湾日報を合併させ、新しい新聞社をつくるので協力して欲しいとは、驚きましたな」と台湾新報代表の山下秀實はややご機嫌斜めの様な口ぶりで賀田を睨みつけた。賀田は山下のその様な態度を一切気に留めず、終始笑顔で話をした。「山下さん、新しい新聞社を作るにあたって、台湾新報、台湾日報の両社の現株主の方々には、全員、新会社の株主からは外れて頂きます。」と...

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台湾近代化のポラリス 後藤の3大調査と人心掌握術

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台湾近代化のポラリス 驛傳社(駅伝社)

日はとっくに暮れ、賀田組事務所の前の書院通りも人通りがまばらになっていた。辺りからは夕食の良い香りが漂ってきている。時計を見た賀田金三郎は、「もうこんな時間かあ。時間の経つのは早いなあ。今日はそろそろ終わりにするか。」と賀田の話を聞きたくて集まっていた賀田組若手従業員達の方を見た。すると従業員の菊地が「社長、今日の最後のお話として、是非、驛傳社について教えて頂けますか。お願いします。」と言った。賀田...

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